世界猫の日って、いい響き。
世界猫の日は人間と猫の友情を深めあうとともに、猫に安全な生活を提供することを誓う日である。
ですって。いいね!
最愛の黒猫を失って5カ月。
うちにはアメリカから来た子猫が二匹!
かわいい、かわいい、どの子もかわいい。
最初に来た歌丸は、夫と子供がヒトメボレ。
私は黒を引きずっていたけど、次のマルコには「黒の生まれ変わり」に期待を込めて。
でももう、生まれ変わりじゃなくてもかわいい。
歌丸もかわいい。
猫って改めて、さいこう!
世界猫の日、バンザイ。
すべての猫に幸あれ!
]]>亡くなった夜の続きから。
骨を拾って、無事葬儀は終わり、さあ、ここからが私の出番です。
何をするかというと。
以前読んだマンガを参考に、くろの魂を天へ上げる儀式をするのです。
亡くなった日からだいたい5日、長くても10日間、盛塩に線香を挿して、天界へお祈りをします。
夜12時頃が一番届きやすいようです。
これを見るとだいぶ怖いですが、これはかねてから決行を決めてました。
これをやんなきゃ!と思っていたので、悲しんでいる暇はありません。
①夜12時頃になったら盛塩したものに線香(半分※動物は半分らしい)を灯す。
②猫を呼ぶ(その辺にうろうろしてる魂を呼びつける)
③住所と名前を言って、猫を天界に上げてもらえるよう唱える。(声に出さないと聞こえないらしい)
見られると怖がられるので、家族には絶対入ってこないよう(これもまた怖い感アップ)、夜な夜な10日続けました。
①の盛塩は、一度盛ったら崩してはいけない、線香を挿す場所は同じところでなければいけない
↑線香が勝手に消えるのですが、根元は残っているので、 新たなのを挿そうにも邪魔でさせず、苦労。
また崩さないのも結構困難で、塩が日々固くなり、上記のように無理やり線香を挿そうとするとパカっと割れそうになってひやりとします。
②もすぐ忘れちゃって、祈禱後に、「そうだ、くろ…」とかもしばしば。
③は一時はしょったり(東京都、とか言わない)しましたが、神が市区町村わかるかな…とかも思い、全部言うようにしました。
これに関しては、過去遍路をした時の札に住所書くところがあって、「神に住所?」とか思いましたが、テレビでも礼拝の際に住所いうとかよく言ってるので、やはり神は住所を頼りに救いの手を出してるっぽいですね。
私的には③を家族に聞かれるのが一番恥ずかしいかな…。(それではしょったりしてた)
これで無事、くろはあがったことでしょう。
そばににいてほしい気持ちもあり悩みましたが、ずっといると自然消滅してしまうと書いてあり、
それも気の毒で、結局早く上げて、早く戻る(転生)方向に賭けることにしました。
ちなみに骨はいずれダイヤモンドにして一生添い遂げようと思っています。
やっぱり相棒だから。
ポケモンのサトシも、ピカチュウが亡くなったらダイヤにするんじゃないかな。
くろはもう上がったので、次は戻ってくるのを待っています。
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今日は猫の葬儀について、情報も含め書き記します。
前にも描きましたが、亡くなる前夜、一晩付き合っていたのでいざというとき用に、葬儀について検索してました。
私の過去の経験で言うと、どの動物も葬儀屋が猫を引き取りに来て、骨が返ってくるというのが、お決まり。
しかしながら現代にて検索すると、「ご家族様立ち合い葬」の文字が並んでおり、どうせなら立ち会いたいと心にメモしました。
で、亡くなって落ち着いて電話したら、何と火葬車が自宅へ来るというではありませんか。
どういう状況かよくわからないのですが、自宅で火葬?どうゆうこと?せめて夜に…と、没日夜を指定。
たった一日の最期のお別れをして、せっかくなので近所に住む両親と叔母にお葬式の通知をしました。
さて夜になり、好奇心とお悔みをもって、皆集合。
ちょうど火葬車が登場。なんとただのワゴン。会社の運搬に使ってるような。
後ろのところに火葬炉が設置してあるようです。
葬儀の方は神妙な面持ちで、お悔みを言い、しめやかに手続きをしてくれました。
たくさんのお花も一緒に入れてもらい、ちょうど満開の桃の下で、くろは天へ上りました。
ちょうど亡くなる1週間前くらい、外へ連れ出し、最期のお花見をしたところでした。
ところで火葬車はただのワゴンでしたが、燃焼のときには後ろドアを全開にしており、
桃の下に停まった火葬車はドア全開のままそこから1時間ほど燃焼を続け、ワタシは隣でじっと見ていました。
しばらくすると、最期の準備が始まり、
葬儀屋さんが人の葬儀のように銀のテーブルと銀のトレイ、銀の長箸を並べていきました。
ここは路上…。
丁寧にしめやかに準備してくれるのですが、如何せん他人の目が気になります。
広い空間だったので、結構広々並べてくれて、やや焦りました。
本当に夜にしてヨカッタ…。
骨は、意外にも太くてしっかりしており、葬儀屋さんは「これは足」「これはしっぽ」と、丁寧に説明してくれました。骨が真っ白で、感動しました。
驚いたのは「爪の骨」。
外に出てる爪の中の爪らしいんですが、すごい爪で、これは家族3人、1個ずつもらいました。
あと、しっぽの骨を並べてくれて、まっすぐできれいだったしっぽの先も、手元に残すことにしました。
ちなみに骨はいずれダイヤモンドにして一生添い遂げようと思っています。
やっぱり相棒だから。
ポケモンのサトシも、もしピカチュウが亡くなったらやっぱりダイヤにするんじゃないかな。
おうちが大好きで、外へ出てもすぐに帰ってきちゃったくろ。
家族に囲まれ、大好きなおうちで、桃の下で、本当に温かい、いいお葬式でした。
これからも桃を見るたび、くろを思い出せそうです。
そして今後の知識として、出張葬儀はすごくお勧めですが、あくまでも夜の時間帯をおススメします。
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周りの人たちはいかにショックか気遣ってくれますが、意外に大丈夫。
ぽっかり穴は空いてますが、だいぶ前からいつかは来るのがわかっていたから、とても準備ができたのでしょう。
はっきり言って、万端。
この先は老猫の最期を検索してる方に向けて、記録です。
私がどんだけ「老猫 ○○」を検索したことか。ほぼ表示されるタイトルは読んだくらい。
個人のブログも、どれだけ役に立ち、どれだけ支えになったか。
年齢的にも、いったいいつまで生きるんだろう…と常々思っている中、急に甘えてくるくろ。
仕事の膝に乗っちゃったりなんかして。どうした、そんなことしないじゃない、いつもは。
あんまりご飯を食べなくなり明らかな弱りが見えたのが3週間くらい前。
なにかすごい治療をする気はもうなくて、「これが最後です」といわれれば受け止められる気分で、
最後の診察はと思って、ずっとお世話になっていた引っ越す前の動物病院(自宅の1Fだったところ)へはるばる連れて行きました。
そこで命からがら※血液検査した結果は腎臓病。おそらく末期。※血管が細すぎてすごいわずかの血をとるためショックで一度死にそうに…(;´Д`)
でもほんと年も年だし、いまさら腎臓病の食事療法とかも、どうせ食べないだろうし、最期くらい好きなもの食べたいし。
でもどうなの?と「老猫 腎臓病 末期 食事」。
葛藤がありつつも食べない中、実家から元気猫のウエットフードをもらい、そういうの食べない猫なのに急に食べてくれた!
この時には子供の離乳食に使ったぶんぶんチョッパーが大活躍。
しかし数日で食べなくなり、次のチャレンジは猫大好きチュール。
チュールも日ごろたいして食べなかったんだけど、興味を引いたもんだから片っ端からチュールをあげまくる。
1日に1チュールくらいから、段々減って、でも味を変えると食べてくれたり。
最後はスプーン1杯とか。でも気を引こうととにかくいろんなチュールを開けまくった。
病院からは皮下注射の点滴キットをもらい、超怖いけど、見るのも怖かったけど、挑戦。
病院嫌いだし、病院とおいし、でもこれやると楽だからと、自宅でできるよう配慮してくれた。なんとかやらないと。私が。
どうみても針。な針を、やせ細った皮引っ張って挿すんだけど、できてんだかどうだか。
この時だって、何度「老猫 皮下注射 自宅で」とか検索しまくったことか。
たくさんの人が失敗してて、そうよね、と励まされた。
しかしくろは心臓病だから3日おきに30mlとかで、検索で見るのは皆100mlとか200mlとか入れてて、やや戸惑う。
亡くなる5日前、急にけいれんを起こして焦った。
でも、検索してて知ってたから、そこまで焦らなかった。想定内だったから、良き処置ができたと思う。
それからはすっかり弱って、日に日に足がぐんにゃりして、それでも膝に乗りたがるから、
枯れ木みたいなくろを布に巻いて、腕に抱えてパソコン作業をした。
ドバイとの商談中も、本当はずっと抱えてた。
起こりうる現象を、いっぱい検索して想定してたから、亡くなるときも、悲しかったけど知ってた。
でも知ってるよりずっと楽に静かに逝けたみたいで、何よりの救い。うれしい想定外。
最後の夜は、長い介護だったから、虫の息のくろを腕に抱きながら、「猫 最期」「猫 死んだら」を検索。
おかげさまで、いい見送りができました。
また後世の為に、次は見送り編を綴っておきます。
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度々登場してきた、猫のくろ。私の相棒。
3月4日の朝、天に召されました。
あと一歩で22歳、人間でいうと107歳くらいでしょうか。長い長い猫生でした。
高校生の時に拾って、青春時代~社会人~結婚~出産、人生の花形を全部共にしてきました。
私はおばさんになって、くろはおばあさんになりました。
もう数年前から、最期はこの腕の中で!を願って暮らしていました。
私とくろには幸いながら、世はコロナ禍。
テレワークをさせてもらえたのは本当に本当にありがたかったです。
体調がいよいよヤバくなって1週間。ほぼほぼくろにつきっきりでの生活。
家で仕事をしてると、カシャカシャいうので目をやると、なんとくろが膝に乗ろうとしてるではありませんか!
膝になんか特に乗らなかったんだけど、最期に甘えてくれるというあれでしょうか。
なんて幸せ!!
それからはずっと膝にのせて、乗れなくなったら腕に抱えて、この数日過ごしてきました。
最期の日の夜は、くろを傍らに寝て、ずっと抱かえて、何度も起きておなかが動いてるのを確認しました。
ぺったり胸の上で寝てくれました。
朝4時くらい、また不意に起きたら、今まで虚ろだったくろの目がすこししっかりして、
私を見ながら「ニャン。」「ニャン。」とかわいい声で何度もしゃべってくれました。
ここ最近は「ナ~オ、ア~オ」としか鳴いてなかったのですが、最近はそれもなくなって、でもこのときは「ニャン。」でした。
介護が長かったので、何度も「猫 最期」の検索をしてきましたが、よく目にした、「最後にメッセージを残してくれました」というあれでしょうか。
こんなんいいな~、と思っていました。
しゃべってくれました。
朝8時、子供を送り出すために、少し起き上がったくろに、「ちょっと待っててね。すぐ戻るからね」と声をかけて、
くろは立たない足がくにゃんとなってて、片手でこいこいしました。
「あとでね、すぐ戻るね、待っててね」
帰ったら、くろはいつものように横になってて、おなかを触ったら、もう動いてませんでした。
待っててね、っていったけど、もしかして私がずっと見張ってたから、逝きにくかったのかな。
ほんの隙をついて、静かに逝ったのかな。
こいこい、じゃなくって、ばいばい、だったのかな・・・
苦しげな感じは全くなくて、きれいなきれいな、くろらしい最期でした。
黒、クロ、くろ、くろくろくろくろ・・・・
永い間本当にありがとう。よく生きたね。おめでとう。大好きよ。大好きよ。大好きよ。
また会おうね。待ってるね。
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コロナウィルスの影響で世の中が大変なことに。
わが社も漏れず、店舗閉鎖やリモートワークなど未曽有の事態に飲み込まれています。
私も積極的にリモートワークに切り替え、おうちで仕事中。
この春から一年生の息子も絶賛学童自粛中。
よく「小1の壁」とかいうけどもはやどれが壁だかよくわからない状況。
電話ではジャンジャン「ここも休業する」とか「熱がある人が…」とか深刻な話が飛び交いますが、
隣ではポケモンが~ポケモンが~と矢継ぎ早にクイズが飛んできます。
猫はニャーニャー。ニャーニャー…。
会社に行きたくなる気持ちは高まりますが、今は引くとき。。
そして、待って。
よく考えたら、もうすぐ7歳になる息子。
ずっと一緒に居たのは生まれてから10カ月だけ。
それからは朝から晩まで保育園暮らし。翌日から学童生活。
21歳になる猫はいつ死んでしまうかわからない。。
もしかして普通に暮らしていたら人生でなかなか得れない貴重な時間なのでは?
そう思ってこの時期をなんとか乗り越えましょう。
普通に暮らしていたら得られない時間もあるはず。
なんとかいい方に気持ちを持って行って、乗り越えましょう。
皆で。乗り越えましょう!!
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黒、この春とうとう21歳を迎えました。
人で言ったら、就活をスタートさせようという春です。
だけどこの春はたいへんな春。
1999年生まれ。
ミレニアムを越えて、リーマンショックも越えて、震災も越えて、心臓病も越えて、平成も越えて、
色んな時代を越えてきました。
すっかりぼけていつもニャアニャア鳴いてますが、元気!
太一が生まれた時も、発作を起こしてて代わりに死んじゃうんだと思ったけど、
復活して、そんな太一もこの春一年生。
今日から恐る恐る、全く新しい世界に足を踏み入れました。
コロナが世界を蔓延するこの時代も、どうか乗り越えて、
すべての人に早く春がきますように。
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本日にて平成がおしまい。
急に大晦日ムードが飛び交い、カウントダウンも始まりました。
ワタシは平成天皇が実はだいすき。
美智子さまもだいすき。
陛下たちが公務をしている映像が流れると手を止めて見入ってしまう。
被災地なんかで陛下がお見舞いにきて声をかけてくれたら、さぞ心温かになるだろうと思う。
井の頭公園にお忍びでいらした時には、帰ろうかと思った。
(知ったときにはもう来る、というところだったので、間にあわないから帰らず)
結局陛下を直に見たことはなかったね。
くだらない話だけど、「好きな芸能人は誰?」的な質問の場合、
好きな芸能人が取り立てていないワタシはしばらく考えて…
もしかして天皇?というくらい。
肖像画は保存したし。
あとギリ安室奈美恵も好きだったんだけど、それももういない。
安室と陛下の引退の話が出たのが同じ頃で、
もう誰もいなくなってしまう…という仄かな寂しさ。
いよいよもうすぐ陛下も引退してしまう。
ワタシは昭和生まれだったけど、だいたいの思い出はやっぱり平成時代。
明日からは令和で、安室も陛下もいない暮らしになるけど、
陛下が喜ぶような、いい時代になるといいです。
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5月からは新しい時代の始まり。
ところでうちの黒、実はまだ生きています!
なんとハタチになりました。
生まれは1999年、3月末くらい。
そうです、彼女、ミレニアムも超えてきました。
時代の移り変わりを2回も体験!
いつ死んでもおかしくない難病も乗り越え、令和の時代もいま、越えようとしています!
ただしハタチですから、なかなかに日々の暮らしもズルッとが多くなってきました。
それでも元気に食べて、元気に寝て、帰るとニャアニャア騒ぎます。
5歳の太一とは大の仲良し。一緒にレゴしたり、風呂に入ったり。
毎日つきまとい。
ハタチですから、ボケてきたのか、気がつくとんにゃ〜オと毎晩鳴き叫んでいますが、
それでもなんでも、まだまだ、令和も越えて、オリンピックも越えて、
いつまでもそばにいて欲しいのです。
黒、20歳おめでとう!よく生きたね。
よく頑張ったね!ありがとう!
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ヤドカリ以来!
明日11月21日(水) 18:30~銀座蔦屋書店にて、
池田あきこ先生「江戸塾 江戸のねこ雑貨からダヤンまで」が開催されます。
こちらの講演会、いつものように参考資料を作っていたところ、講演原稿に「地口」の文字が。
あら嬉しや、地口からの地口やについてちょっと触れています。
元々なかなか面白い題材の講演会だったので、ちょっと行きたいなと思っていたのですが、
なんとまさかの「来るなら舞子もしゃべれば?」
あわわわ、トンデモナイ・・・と断りましたが、よく考えてみれば、私の地口熱は結構アツい。
10年前に消えた火とはいえいまだに日々浮かぶ地口(ダジャレ)の数々。
こんな熱意をしゃべるまたとないチャンスでは?
と一瞬にして考え、やっぱり登壇させていただくことになりました!!
大学時代の作品からの~
地口やの数々。
思い出される地口の日々。
わずかな時間ですが、なかなか他には負けない地口愛を語りに、
わたくしランブウ先生、明日は銀座蔦屋へいってまいります。
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